映画【わが母の記】いろいろあってもゴールはひとつ!樹木希林&役所広司&宮崎あおいの三世代にわたる親子の絆を描いた映画

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『わが母の記』は

老い介護をテーマにした作品でもありますが。

私にはずっと探し続けていたものが、ようやく見つかる物語でもあるのでは?と感じられました。

芥川賞作家の、10年にわたる家族の物語。

昭和を代表する作家の一人、井上靖の自伝的小説『わが母の記』を基にしています。

国語の教科書にも載っていた、『あすなろ物語』や『しろばんば』。
これらを書いたのも、井上靖ですね。

大人になった今でも、なんとなく頭の片隅には残ってるんですが・・・。
あんまり読んだことがありません。

どうして私は、井上靖がちょっと苦手なのか。

耳に残るセリフの数々が、私のひねくれ者なところをズバリ言い当ててくれました。

「都合の悪い部分だけ消えて、都合のいい所が残ってるの」

うぅ、痛い・・・。

南果歩さん演じる桑子のセリフです。
桑子(くわこ)は、希林さんが演じた八重(やえ)の次女。三人きょうだい、洪作・志賀子の妹ですね。

彼女の言葉は、私の心をちょいちょいグッサリ突き刺します。

このセリフの場面は、1963年に開かれた、八重のお誕生日会の夜。

兄妹ふくめ数人で、記憶を失っていく八重を案じてるシーンでしたね。

「でも、お母さんの場合、消し忘れがある。都合の悪い部分だけ消えて、都合のいい所が残ってるの」

八重の話をしているのに、私は自分のことを言われたみたいで、ハッとしました。
嬉しかったこと、楽しかったこと。
覚えておきたいこと、忘れてしまいたいこと

役所広司さん演じる洪作(こうさく)の、「老いってものが、消しゴムをもって奪っても、消させなかった」というセリフも続くんですが・・・。

消しゴムで消すようにして奪うのは、なにも老いだけじゃないんだな。
消させたり、消させなかったりするのは、コドモだろうとオトナだろうと、自覚してても無意識にでも、根っこは同じ。私なんだな。

家族だからこそ、の確執のようなもの。

八重と洪作と琴子。
この3人の行き違いも印象的です。

宮崎あおいさんが演じる琴子(ことこ)は、洪作の娘。三人姉妹の末っ子ですね。

私から見て、この3人。よく似てるなあって思うんです。
時として、自分の意見を主張して、ガンとしてゆずらない。

おりおり見かける、相手を非難するようなところもソックリです。
(こういうところ、私の持ってるダメなところにもソックリで、彼らの姿も私の心をグサグサっと突き刺します・・・。うぅ、痛い)

おそらく1970年の、沼津の海。

ずっと探し続けていた人に会いに行く八重。
八重を探して追いかける琴子。
「どうして、ここにいるのかねぇ」という洪作。

今にも泣き出しそうな琴子が、「いろいろあったのよ、途中で」と、父に言うんです。

「途中でいろいろあっても、ゴールはひとつだ」
こう言って、洪作は琴子の頭をなでました。

会いたかった人がいた海の、波打ち際にいる八重。

幼い頃から転々としていた洪作。
「ほうぼう歩き回った」のは、彼だけじゃなくて。

みんなそれぞれ何かを探してるんだ、と。
みんな同じなんだな、って。

『わが母の記』は、井上靖の自伝的小説を基にした映画です。

私の人生には、なんら関係ないのですが、私のコンプレックスをズバリ言い当てる作品でもありまして。
だから私は、井上靖がちょっと苦手なのかも知れません。
これを機会に、原作も読んでみたいと思いました。

『わが母の記』は

2012年に公開された、日本映画です。
監督・脚本は、原田眞人。
出演は、役所広司、樹木希林、宮崎あおい、三國連太郎、南果歩、キムラ緑子、ミムラ、菊池亜希子、三浦貴大、真野恵里菜、赤間麻里子、橋本じゅん、内田也哉子ほか。

原作は、井上靖の『わが母の記~花の下・月の光・雪の面』。
フードコーディネートは、井出玲子。
音楽は、富貴晴美です。

コドモだろうと、オトナだろうと。
いつでも誰でも、悲しいことや苦しいこと、絶望のドン底に直面してしまうこと、ありませんか?

そんなときって。
自分の気持ちで、いっぱいいっぱい。客観的になれるワケ、ないですよね。

それでも。
ほんのちょっぴり、モノの見方を変えられたなら、ずいぶん心が楽になる・・・?

この映画を観て、そんなふうに考えてしまいました。