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そうそうたるキャストが見事なコラボレーションで魅了する映画のひとつが、こちら。
『ラストサムライ』
明治維新の日本を舞台に、アメリカから日本に招かれた南北戦争の英雄が、侍の魂や人情の機微に触れる姿を描いた、ハリウッド大作です。
主人公ネイサン・オールグレン大尉を演じたトム・クルーズをはじめ、ハリウッドの名優や渡辺謙、真田広之、原田眞人・・・。
いずれ劣らぬビッグネーム、なのですが。
ひときわ輝きを放っていた男の子の存在も忘れられません。
侍の息子、飛源(ひげん)。
突然、父を失った男の子、飛源。
演じているのは、当時12才だった池松壮亮さんですね。
彼にとって、映画デビュー作に当たります。
飛源の父は、武士道精神を重んじて生きる侍でした。
オールグレンと飛源の関係は、複雑で痛ましいものでもあると思うんですが。
次第に心を通わせるようになります。
決して多くはない、飛源の登場シーン。
ですが、その表情や身のこなし・・・、とても印象的なんです。
例えば、刀の稽古してるシーン。
稽古相手の子よりも幼く見える、飛源。
木刀、ほど重たくはないのかな?
飛源は掛かり稽古さながらに、鬼気迫る表情で打ち込んでいきます。
相手の木太刀をなぎはらい、勝負がついた途端、相好を崩すんですよね。
厳しく真剣な表情が、一転にこ~っと笑顔になる。
相手を打ち負かした喜びだけではない、真剣勝負に向き合ってるからこその笑顔なのかな・・・?
なんて深読みしてしまうような表情でした。
例えば、お習字してるシーン。
居心地悪そうにしてる、飛源。
めっちゃストレス感じてるっぽく見えるんです。
そんなとき。
向かいに座ってるオールグレンが、指を使った手品遊びをするんですね。
親指が切れて、離れたように見えるマジックなんですけど・・・。
それを目にして、肩の力が抜けたようににいって微笑む、飛源。
私はその場面を観て、「ああ、よかったな」って、勝手にホッとしてしまいました。
別れの時は、いつも突然やって来る。
そもそもオールグレンは、とらわれの身として、飛源たちが暮らす村に連れてこられました。
遺恨を残した敵対関係にありますし。
オールグレンは、アメリカにいるときから、トラウマに悩まされていましたし。
誰にとっても、息を詰まらせるような日々だったのですが・・・。
飛源だけでなく、村の人々とオールグレンも、次第に打ち解けていくんです。
名セリフ。「・・・。行かないで」
ゆっくりとオールグレンを仰ぎ見る、飛源。
真顔から泣き出しそうな顔になり・・・。
「・・・。行かないで」
オールグレンは、胸をつかれたように一瞬黙るんです。
おそらく観ている私も、おんなじような顔つきになってたんじゃないかな。
オールグレンが、飛源に何か言おうとしたとき、敵の来襲を知らされます。
ハッとしたように、そちらを向くオールグレン。
涙をこぼす、飛源。
いや、もうホントに、こちらまで悲しくなってくるんです。
飛源の表情からは、悲しいだけじゃなくて、心配りをしてるような、相手の身になって考えてるような・・・。
大切な人をまた失ってしまうような・・・。
いろんな感情が「行かないで」に込められてるような気がして、観ている私まで身を切られる思いになりました。
オールグレンの胸に抱かれた飛源の顔が、忘れられません。
ぶちゃいくな表情で、切ないような、ふてくされたような、納得しなきゃダメなんだと思い込むような顔。
オールグレンから抱き締められたことで、何かを強く実感したように、ギュッと目を閉じる。
これからしばらく、彼はひとりで泣くのかな・・・。
飛源は、紛れもなくそこにいると思わせる。
そこに、確かに存在しているという実感が、豊かすぎるキャラクターでした。
私は勝手に、ぐるぐる考えてしまって、とても切なくなるのです。
『ラストサムライ』は
2003年に作られた、アメリカ映画です。
監督は、エドワード・ズウィック。
出演は、トム・クルーズ、ティモシー・スポール、ビリー・コノリー、トニー・ゴールドウィン、渡辺謙、真田広之、小雪、小山田真、福本清三、池松壮亮、原田眞人ほか。
脚本は、ジョン・ローガン、エドワード・ズウィック、マーシャル・ハースコヴィッツ。
音楽は、ハンス・ジマーです。
ハリウッドが思い描くサムライ映画なので、どうしたって賛否両論ありますね。
私は、エドワード・ズウィック監督も好きなんですが、ん?って思うところも正直ありました。
ただ、この作品に出演された方々の演技は素晴らしくて。
世界で活躍する「大きなきっかけのひとつ」になった映画であることは、間違いないと思います。